当時仙台市の専門学校生。
震災発生時は8階建てマンションの6階友人宅にいた。
マンションそのものが折れてしまうのではないかというほどの揺れの激しさ。部屋があり得ない角度に傾き、置かれていた物がベランダへ続くガラス戸から次々と外へ落ちていく中、必死に近くにあった物にしがみつき何とか生き延びることができた。
その後、安全な別の友人宅に避難。
水道・電気・ガスが止まり暖を取ることできない為、10畳ほどの部屋に10人が集まり身を寄せ合って暖をとっていた。
夜は懐中電灯の光のみを頼りにラジオで情報収集。不気味な余震が絶えず続いていた為、有事に備え交代制で睡眠をとる。
ラジオで情報収集をしている最中、当時所属していた社会人チームの練習場所が津波で流されたという情報を耳にした。
翌日その場所に足を運び、そこで見た凄惨な光景は今でも忘れられない。
チームはこの震災を機に解散。
チームのメンバーも家族を、家を、職を失い各地へバラバラとなった。
生まれてからあの日被災するまで1度も経験することがなかった命の危機。
光がある幸せ。
水道・電気・ガスがある幸せ。
食べることができる幸せ。
安心して眠ることができる幸せ。
サッカーをする環境がある幸せ。
サッカーをするチームがある幸せ。
サッカーをする仲間がいる幸せ。
全て当たり前ではないということ。
風化させてはいけないあの日の記憶。
生かされている意味を己に問い続ける。
岩田